「頑張れ」と背中を押す前に、その人の「足元の石」を一緒に見る
「本気なら、行動できるはず」
昔の僕は、どこかでそう思っていました。
- やると決めたなら、やればいい
- 人生を変えたいなら、動けばいい
- できないのは、覚悟が足りないから
でも今なら、そんなことを簡単には言えません。
なぜなら僕自身「人生を変えたいのに、動けない人」になったことがあるからです。
正論は、だいたい知っていた
33歳の頃、会社が倒産しました。
離婚しました。
4人の子どもたちとも離れました。
そして、住む場所まで失いました。
ホームレスになった頃、僕は、人生について何も知らない人間ではありませんでした。
むしろ逆です。
- 成功哲学
- 自己啓発
- マーケティング
- ビジネス
長年、いろいろ学んできました。
だから、正論なら知っていました。
「前向きに考えよう」
「過去ではなく未来を見よう」
「行動すれば人生は変わる」
「失敗は成功のもと」
「諦めなければ道は開ける」
全部、聞いたことがあることばかりです。
たぶん、人にも言っていたと思います。
でも、自分が本当にどん底へ落ちたとき、思いました。
「それができたら、苦労せえへんねん」と。
「行動しろ」が一番できなかった
頭では、わかっています。
- このままではいけない
- 仕事を探さないと
- 人に会わないと
- 立て直さないと
- 何か始めないと
でも、頭と身体が、同じ方向を向かない。
未来を考えようとしても、過去が頭に出てくる。
何か始めようとしても「また失敗したら?」というネガティブな気持ちが出てくる。
人に会おうとしても「今の自分を見られたくない」と思う。
動かなければ、何も変わらない。
そんなこと、本人が一番わかっています。
それでも、動けなかった時期があったんです。
動けない人に、さらに「動け」と言う
今思うと、不思議です。
足をケガして走れない人がいたとします。
そんな人へ「がんばって走れ!」と応援する。
でも、走れない。
さらに、もっと大きな声で「本気出せ!」と言う。
それでも走れない。
すると「覚悟が足りない」と結論づける。
いや、その前に、足を見ようよという話なんですよね。
人には、外から見えない「石」がある
先日投稿した記事で、CTAについて、こんな話を書きました。
読者の背中を押す前に、足元の石をどける。
「欲しい」と思っていても…
- 面倒
- 不安
- 怖い
- わからない
そんな小さな摩擦で、人は動けなくなるんです。
これ、文章だけの話ではないと思っています。
人生にも、足元の石があります。
- 失敗への恐怖
- 過去の傷
- 自信のなさ
- 疲労
- 他人の目
- またダメになるかもしれないという記憶
外からは、見えません。
でも本人にとっては、確かに重い石なんです。
「やる気がない」で片づければ簡単
誰かが、行動しない、続かない、また三日坊主になった。
その人を見て「本気じゃないから」と言えば、話は簡単です。
でも、僕は、そう簡単に判断したくありません。
なぜなら、僕自身が、三日坊主の常習犯だったから(笑)
やりたい → でも、続かない。
変わりたい → でも、元に戻る。
そんな自分を、何度も見てきました。
一番責めていたのは、自分だった
僕は三日坊主になるたび、思っていました。
「また続かなかった」
「やっぱり意志が弱い」
「自分は何をやってもダメだ」
そして、面白いくらい、次の行動が重くなる。
当然ですよね。
何か始めるたび、失敗した自分を責めるなら、脳からすると「新しいこと=また自分を傷つけるイベント」になってしまいます。
そりゃ、動きたくなくなるのは当然です。
「もっと頑張れ」では変わらなかった
僕自身、人生を立て直していく中で、必要だったのは、自分をさらに追い込むことではありませんでした。
- 睡眠
- 身体
- 環境
- 考え方
- 付き合う人
- 毎日の小さな行動
そういったものを一つずつ、整えていく。
ものすごく地味です。
映画なら、たぶん全部カットされます(笑)
でも、その地味な積み重ねで、少しずつ、動けるようになったんです。
人生は「気合い」より「順番」だった
この経験が、今の僕の考え方にも、かなり影響しています。
人生を変えるには…
- 夢を持とう!
- 志を持とう!
- 目標を決めよう!
とモチベーションを高めることも、もちろん大切です。
でも、寝不足で、身体がボロボロで、頭の中が不安だらけで、エネルギーも残っていない人に、いきなり「あなたの志は何ですか?」と聞いても、出てこないことがあります。
昔の僕なら、それを「意識が低い」と思ったかもしれません。
今は、違います。
それは単純に「整っていなかっただけ」かもしれないと考えるのです。
「身→脳→気→心→志」
僕が、五つ星成功術で「身→脳→気→心→志」という順番を大切にしている理由も、ここにあります。
まず「身体」
↓
次に「脳」
↓
そして「エネルギー」
↓
そのうえで「心」を整える
↓
最後に、どこへ向かうのかという「志」
人生を変える方法を、上から足すのではなく、動ける状態を、下からつくっていく。
これは、僕自身が、動けなかった経験から、たどり着いた考え方です。
僕は「成功者の言葉」に苦しんだことがある
成功している人の言葉は、力があります。
「迷ったら、やれ」
「言い訳するな」
「圧倒的に行動しろ」
「寝る間を惜しんで努力しろ」
その言葉で、奮い立つ人もいます。
だから、否定するつもりはありません。
でも、人生の状態によっては、その言葉が、ナイフになることもあると思います。
「できない自分は、やっぱりダメなんだ」と。
僕自身、実際にそう感じたことがあるので、よくわかるんです。
正しい言葉が、正しいタイミングとは限らない
「走れ」は、間違った言葉ではありません。
でも、足を痛めている人は、まず、治すことが先決です。
「挑戦しよう」も、素晴らしい言葉です。
でも、何度も失敗して、自信を失っている人には「今日は一歩でいい」というエールのほうが、刺さるかもしれなません。
言葉には、正しさだけではなく、順番とタイミングがあります。
コピーライターとして、僕が人の状態を考えるようになったのも、自分自身が、言葉に救われ、言葉に苦しんだからだと思います。
人を動かす文章は「強い言葉」だけではない
文章を書く仕事をしていると「人を動かすコピー」という言葉を、よく使います。
僕自身も、使います。
でも最近、ますます思います。
人を動かすとは、強い言葉で、後ろから押すことだけではありません。
その人が、なぜ止まっているのかを見る。
- 不安なら、不安を減らす
- わからないなら、説明する
- 怖いなら、一緒に整理する
- 疲れているなら、休むという選択肢も示す
動ける状態をつくることも、人を動かす文章です。
先日書いたLPの話も、同じだった
売れないLPを見たとき、僕は、いきなりコピーを書き直さないことがあります。
「どこで読者が止まっているんだろう?」を見ます。
- 料金がわからない
- 申し込み後がわからない
- 誰の商品かわからない
- 自分向けかわからない
だから、止まっている。
そこへ、さらに「今すぐ申し込め!」と書いても、進めません。
人間も、同じなのかもしれません。
行動できない人に必要なのは「もっと強い言葉」とは限らない
もしかすると、その人には…
- 励ましより、睡眠が必要かもしれない
- ノウハウより、安心が必要かもしれない
- 目標設定より「今日はここまででいい」が必要かもしれない
- 喝より、一緒に足元を見る人が、必要かもしれない
これは、甘やかすこととは違います。
ずっと、止まったままでいい、という話でもありません。
本当に前へ進むために、まず何を整える必要があるのかを見る、という話です。
僕が「三日坊主」を責めなくなった理由
昔は、三日坊主を、直したいと思っていました。
今は、少し考え方が違います。
三日で止まった。
いい。
四日目、休んだ。
いい。
五日目も、できなかった。
まあ、そんな日もある。
でも、六日目に、またやればいい。
三日坊主の本当の問題は、三日で止まることではありません。
「止まった自分はダメだ」と思って、そのまま戻ってこなくなること。
こっちのほうが、僕は怖いです。
100点の三日坊主より、60点の365日
完璧にやろうとして、三日で燃え尽きる。
それより、60点でいいから、休みながら、戻りながら、一年続ける。
僕は、こっちを選びたいです。
できない日があることを、最初から、人生の設計に入れておく。
「また止まった」ではなく「そろそろ戻るか」と言える。
そのほうが、人は遠くまで行けると思っています。
ホームレスから再起できたのは、強かったからではない
ときどき、僕の過去を知った方から「宮本さんは、精神的に強いから立ち直れたんでしょう」というニュアンスのことを、言われることがあります。
僕は、そうは思っていません。
強かったから、転ばなかったのではない。
めちゃくちゃ転びました(笑)
強かったから、すぐ立ち上がれたわけでもない。
時間もかかりました。
ただ、一つずつ、足元を整えて、また立つことを、やめなかった。
それだけだったと思います。
だから僕は「七転び八起き人」でいたい
完璧な人ではなくていい。
一度も挫折しない人でもない。
何度転んでも、自分で整え直して、また立てる人。
僕は、そんな人を「七転び八起き人(ななころび・やおきびと)」と呼んでいます。
転ぶことを、失敗の証拠にしない。
転んだら、足元を見る。
- 何につまずいた?
- 疲れていた?
- 無理していた?
- 怖かった?
- やり方が合っていなかった?
それを見つけて、また整える。
そして、もう一度、歩き始めるんです。
「なぜ動けない?」ではなく「何が止めている?」
これは、文章を書くときも、人を見るときも、僕が大切にしたい問いです。
「なぜ、この人は行動しないんだ?」という見方だと、相手を責める方向へ行きやすいです。
でも「何が、この人を止めているんだろう?」と考えると、見る場所が変わります。
性格ではなく、状態を見る。
根性ではなく、障害を見る。
そして、取り除けるものを、一つずつ取り除いていくんです。
もし今、あなた自身が動けないなら
「自分は意志が弱い」と結論を出す前に、一度だけ、足元を見てみてください。
何が、あなたを止めているのでしょう。
- 疲れている?
- 怖い?
- 失敗した記憶?
- 完璧にやろうとしている?
- やることが大きすぎる?
- そもそも、今やるべきことが、わからない?
原因によって、必要なものは違います。
- 休む
- 小さくする
- 誰かに相談する
- やり方を変える
- 一つだけやる
「もっと頑張る」以外にも、前へ進む方法はあります。
背中を押す前に、足元を見る
直近の投稿では、ずっとこの話を書いてきました。
CTAでも、LPでも、そして人生でも、人が動かないとき、すぐに、強い言葉を足さない。
まず、止まっている理由を見る。
僕自身、人生のどん底で、それを教えられました。
だから今、誰かが止まっていても、簡単に…
「やる気がない」
「本気じゃない」
「覚悟が足りない」
とは、言いたくありません。
その人にしか見えない、石があるかもしれないから。
もし、その石を、一つどけられたら。人は、誰かに強く押されなくても、自分の足で、また歩き始めることがあります。
僕は、文章でも、仕事でも、人との関わりでも、そんなふうに、誰かの背中を押す人というより、その人の足元を、一緒に見る人でありたいと思っています。
「頑張れ」と言う前に「何につまずいてる?」と聞く。
たぶん、僕がホームレスになる前と、なった後で、一番変わったのは、そんなところなのかもしれません。


