23社の原稿を添削してわかった「削る一文・残す一文・むしろ足す一文」の判断基準
クライアントから「文章が長いので、半分くらいに削ってみました」と言われて原稿を見てみると…
短くなったのに、逆に読みにくくなってしまっているという場合があります。
現在、僕は23社のマーケティングやコピーライティングに関わっています。
- LP
- メルマガ
- 広告
- SNS
- 電子書籍
いろいろな文章を見ます。
そこで、よく聞くのが「長かったので削りました」という言葉です。
実際、2000字あった文章が、1000字になっている。
かなりスッキリしています。
ところが、読んでみると、前より読みにくい。
そんなこともあります。
文章には「削っていい長さ」と「削ってはいけない長さ」がある
文章添削では「もっと削りましょう」と言われることが多いです。
僕も、かなり削ります。
でも、何でも削ればいいわけではありません。
たとえば、こんな文章。
以前、私は集客に悩んでいました。しかし、お客様目線で情報発信するようになったことで、徐々に反応が変わりました。
短いし、無駄も少ない。
でも僕なら、こう聞きたいです。
「ちょっと待って。その間に何があったんですか?」
「悩んでいました」を、そのまま通過しない
そこを詳しく聞いてみます。
すると、こんな話が出てくるかもしれません。
3か月間、毎日SNSを投稿していたんです。でも、問い合わせはゼロでした。いいねは付くんです。でも商品は売れない。毎朝スマホを開いて、今日は問い合わせが来ているかな、と確認していました。すると、ある日、妻から『そんなにスマホ見て何してるの?』って言われまして(笑)
僕なら、このエピソードを使いたいです。
文章を削ったことで「景色」まで消してしまう
「集客に悩んでいました」
この一文の中には、本当は…
- 3か月
- 毎日投稿
- 問い合わせゼロ
- スマホを見る朝
- 妻との会話
いろいろな景色が入っています。
でも「簡潔にしよう」として全部まとめると、情報としては正しいけれど、読者が追体験できなくなります。
だから僕は、文章の長さではなく「この長さには役割があるか?」を見るようにしています。
僕がまず削るのは「同じ意味の繰り返し」
では、何を削るのか。
まず、同じ意味を何度も言っているところ。
たとえば…
文章は読者目線が重要です。
読者の立場で考える必要があります。
相手の気持ちを想像することが大切です。
これらはほぼ同じです。
ここは、一つにできます。
「文章は、読者の頭の中から考える」
これでいいわけです。
3行を1行にする。
こういう削り方なら、文章は強くなります。
次に削るのは「なくても意味が変わらない言葉」
たとえば…
「個人的には」「私自身の考えとしては」→ これはほぼ同じです。
「まず最初に」→ 最初だけでいい(笑)
「過去の経験を振り返ってみると」→ 文脈によっては「振り返ると」で足ります。
こういう言葉は、削っても、読者の理解はほとんど変わりません。
むしろ、削ることによってテンポが良くなることも多いです。
僕が削りたくなるのは「書き手のための説明」
これも、かなりあります。
「誤解のないように申し上げますと…」
「もちろん例外もありますが…」
「すべての方に当てはまるわけではありませんが…」
もちろん、このような補足が必要な場合もあります。
でも、文章を書く側が…
- 批判されたくない
- 誤解されたくない
- 逃げ道を作っておきたい
そのための説明を必要以上に(くどいくらい)重ねていることもあります。
僕は、これを読んだとき「これは読者のため? それとも書き手を守るため?」と考えます。
逆に、僕が残したいのは「読者が景色を見るための文章」
たとえば「33歳の頃、僕はホームレスになりました」だけでも、事実は伝わります。
でも、その前後に…
- 会社倒産
- 離婚
- 4人の子どもたちとの別離
- 住む場所を失う
という流れがああります。
ここを全部「人生で大きな挫折を経験しました」とまとめたら、短くはなります。
でも、そうしてしまうと何も見えなくなります。
具体的な事実には、読者が物語へ入るための「役割」というものがあるんです。
「感情」も削りすぎない
特に、AIで文章を短くすると、感情の部分が消えることがあります。
「とても悔しかったです」まで削らなくても、その前に、何があって、どんな行動をしたのか。
その感情が生まれるだけの材料を残したいところです。
たとえば…
販売ページを公開した初日、23時59分まで何度もメールボックスを確認しました。でも申し込み通知は一件も来ませんでした。
これなら「悔しかった」と書かなくても、悔しさの描写が伝わります。
このように、感情が生まれる場面を残すのです。
そして意外と削ってはいけないのが「橋」
文章には、前の話から、次の話へ移るための、短い文章があります。
たとえば…
「では、なぜこんなことが起こるのでしょうか?」
「ここで一つ、考えてほしいことがあります」
「ところが、現場では逆のことが起こりました」
こういう一文です。
情報だけ見れば、なくても成立することがあります。
でも、読者からすると、頭を切り替えるための橋になっています。
ここを全部削ると、文章が、箇条書きの情報を高速で投げつけてくる感じになるんです(笑)
「短い=テンポがいい」でもない
文章を短くすると、テンポが良くなる。
これも、半分正しくて、半分違います。
短文
↓
短文
↓
短文
↓
全部短文
これが延々続くと、逆に疲れることがあります。
文章にも、呼吸があります。
短い文で、パン、パン、と進むところ。
少し長めに、情景や考えを伝えるところ。
一言だけ置くところ。
長短があるから、リズムが生まれるんです。
僕が添削するときは「文字数」より3つを見る
原稿を見ながら、僕が考えるのは、大きく分けると、この3つです。
1. この文章は、前へ進んでいるか?
同じ場所をグルグル回っているなら、削る。
2. 読者の頭に景色が浮かぶか?
抽象論しかないなら、具体例や場面を足す。
3. 次の段落へ自然に進めるか?
話が飛んでいるなら、橋を足す。
つまり「長いから削る」のではありません。
役割がないから削る。
役割が足りないから足すんです。
2000字→1000字ではなく「100→60→80」
僕の添削イメージを、数字で表すなら、こんな感じです。
最初の原稿を100とします。
まず…
- 重複
- 余計な説明
- 言い訳
- 抽象的な美辞麗句
これらを削って、60くらいにします。
そのあと…
- 具体例
- 会話
- 数字
- 体験
- 読者との橋
これを足して、80くらいに戻す。
最終的に、文字数は最初より短くなる反面、情報密度と人間味は上がっています。
僕が目指したいのは、そんな文章です。
AIに「半分にして」は便利。でも…
前回の記事もAIの話を書きました。
AIへ「この文章を半分の長さにしてください」と頼めば、本当に上手くまとめてくれます。
便利です。
でも、僕なら、そのあと必ず確認します。
「何が消えた?」
重複が消えたり、余計な説明が消えたならOK。
でも…
- その人にしかない体験
- 具体的な数字
- 面白い一言
- 読者が理解するための橋
そこまで消えていたら、戻します。
「要約」と「コピー」は違う
これは、AI時代にかなり重要だと思っています。
要約の目的は、情報を短くすること。
でも、コピーの目的は、単に情報を短くすることではありません。
- 読んでもらう
- 理解してもらう
- 感じてもらう
- 覚えてもらう
- 行動してもらう
だから、最短の文章が最良とは限らないのです。
「削る技術」より先に「残す判断」が必要になる
文章術では「削れ」とよく言われます。
僕も、削ることは大切だと思います。
でも、これからAIが、文章を簡単に短くできるようになるほど、人間側に必要なのは、むしろ「何を絶対に消してはいけないか」を判断する力かもしれません。
- その人らしい一言
- 体験
- 数字
- 感情
- 読者が理解するための一文
ここを残せるかがポイントになってきます。
僕が文章を削る基準は「短くなるか」ではない
原稿を削るとき、僕は、文字数が減ったこと自体には、あまり喜びません。
見るのは、削ったことで、文章が強くなったか、です。
500字削って、わかりにくくなったなら、失敗。
200字足して、一気に伝わるようになったなら、その200字には価値があります。
前回の投稿で「長文だから読まれない、は半分ウソ」と書きました
長文を読ませるために、必要なのは、全部を短くすることではありません。
読者が…
「もう知ってる」
「同じ話だ」
「何の話かわからない」
と思う部分を削る。
そして…
「それで?」
「具体的には?」
「どうなった?」
と思うところには、必要な文章を足す。
つまり、文章を短くするのではなく、読者の退屈を短くするわけです。
これが、僕が現場で考えていることです。
もし、あなたの原稿が長いと感じたら、いきなり「半分にしよう」と考えなくてもいいです。
一文ずつ、こう聞いてみてください。
「この一文には、仕事があるか?」
- 次へ進める
- 理解させる
- 景色を見せる
- 感情を動かす
- 信頼をつくる
何か仕事をしているなら残す。
何もしていないなら削る。
そして、必要な仕事が抜けているなら、むしろ足す。
文章添削とは、文字数を減らす作業ではありません。
すべての一文に、仕事を与える作業。
僕は、そう考えています。
あなたの文章の中に、ただそこにいるだけの「無職の一文」はありませんか?


