AI時代に最後まで残るのは「文章力」ではない
文章がうまくなりたくて30年以上学んできました。でも最後にたどり着いたのは「うまく書こうとしない」でした。
昔の僕は「正解の文章」を探し、文章の「型」もたくさん覚えました。
- PREP法
- PESONA
- AIDA
- QUEST
学べば学ぶほど「こう書けば伝わる」という知識は増えていきました。
ところが、ある時期から妙なことが起きます。
文章は上手くなったはずなのに、なんだか自分の文章じゃないと感じたんです。
「文章は正しい。でも、そこに宮本がいない」
昔、文章を書きながら「この表現、プロっぽいな」「この構成ならセオリー通りだ」と満足していたことがあります。
でも読み返してみると、きれいなんです。
論理も通っている。
それなのに、体温がない。
極端に言えば、僕が書いても、別のコピーライターが書いても、同じような文章になっていた。
そこに「宮本真愿」がいなかったんです。
それから、失敗を書くようになった
そこで少しずつ、格好つけるのをやめました。
成功した話だけではなく、失敗した話を書く。
迷ったことを書く。
恥ずかしかったことを書く。
「本当はこう思っていました」という、少々格好悪い本音も書く。
- 会社を倒産させたこと
- 離婚したこと
- ホームレスになったこと
- 無口で、人見知りで、引っ込み思案だったこと
昔の僕だったら、できれば履歴書から削除したい項目です(笑)
でも、そういう話を書いたときほど、読者から…
「自分も同じです」
「救われました」
「宮本さんにもそんな時期があったんですね」
という言葉をいただくようになりました。
人は「完成品」より「傷跡」に共感することがある
なぜだろう?と考えました。
たぶん、人は完璧な人を見て「すごい」とは思えても、必ずしも「自分もできる」とは思えないんです。
でも、転んだ人が、泥だらけになりながら、また立ち上がった話を見ると、そこに自分を重ねられる。
神話学でいう「ヒーローズ・ジャーニー」も、主人公が最初から無敵だったら物語になりません。
- 困難がある
- 葛藤する
- 失敗する
- それでも進む
だから、物語になる。
それは僕らの文章も同じなのかもしれません。
「弱みを見せる」と「弱みを売る」は違う
ただし、何でも赤裸々に書けばいいわけではありません。
ここは大切です。
僕は「弱みを見せること」と「弱みを売ること」は違うと思っています。
「こんなに大変でした」
「こんなに傷つきました」
だけで終われば、単なる苦労話になることがあります。
大事なのは、その経験から「何を学び、それを読者にどう渡すか」です。
ホームレスになった。
だから可哀想でしょう、ではない。
すべてを失ったからこそ「紙とペンだけでも価値を生み出せる力」の重要性を知った。
人見知りだった。
だから同情してください、ではない。
話せなかったからこそ、人を観察し、書いて伝える力を磨いた。
自分の傷を見せるだけではなく、傷から得たものを、読者への価値に変換する。
ここまで行って初めて、体験談は「コンテンツ」になります。
だから、クライアントにも「失敗」を聞く
僕が誰かの文章や電子書籍をつくるとき、成功談だけを聞くことはほとんどありません。
むしろ…
「一番うまくいかなかった時期は?」
「そのとき何を考えていました?」
「誰にも言えなかった本音は?」
と聞くことがあります。
少々、嫌なインタビュアーです(笑)
でも、その答えの中に、その人にしか書けない言葉が眠っていることがある。
実績は似ることがあります。
ノウハウも似る。
資格も、肩書きも、サービス内容も似る。
でも「あなたが何に悩み、何を乗り越え、何を信じるようになったか」は、簡単にはコピーできません。
AI時代に「うまい文章」の価値はどうなるか
そして今、生成AIがあります。
「丁寧に」
「論理的に」
「感情的に」
「プロのコピーライター風に」
と頼めば、かなり整った文章を書いてくれます。
これは本当にすごいことです。
僕自身、AIはどんどん使えばいいと思っています。
でもだからこそ、これから希少になるものがあります。
それが「その人を一度通った言葉」です。
- AIは文章を整えてくれる
- 構成も考えてくれる
- アイデアも出してくれる
でも、あなたの人生を生きることはできません。
- あの日、悔しくて眠れなかったこと
- 誰かの一言に救われたこと
- 失敗して、自分の情けなさに腹が立ったこと
- それでも翌朝、もう一度やってみようと思ったこと
そこは、あなたにしか書けない領域です。
借り物の言葉では、人の心の深いところまで届かない
文章を学ぶことは大切です。
- 型も必要
- 心理学も必要
- コピーライティングも必要
AIも使えばいい。
僕自身、全部使っています。
でも、それらは「あなたの言葉」を届けるための道具であってほしい。
誰かの言葉を上手にコピーするためではない。
僕は30年以上学んできて、結局ここへ戻ってきました。
文章は、上手さだけでは人を動かさない。
その言葉を「誰が、どんな人生を通って語っているのか」
そこまで含めて、文章になる。
「うまく書く」より「自分を通して書く」
だから、SNSを開いて「今日は何を書こう?」と困ったら、ノウハウを探す前に、自分に聞いてみてください。
「このテーマについて、ぼくは実際に何を経験した?」
「失敗したことは?」
「昔と今で、考え方が変わったことは?」
「なぜ、自分はそう思う?」
そこに、あなたにしか書けない文章の種があります。
- きれいに書けなくてもいい
- 少しくらい不器用でもいい
- AIに整えてもらってもいい
でも最後に「これは本当に、自分が言いたかったことか?」だけは確認してほしい。
上手な文章は、これからますます増えていきます。
だからこそ、僕は思うんです。
これから人の心を動かすのは「上手に書ける人」ではなく「自分の人生を、自分の言葉にできる人」なのかもしれません。
あなたのこれまでの人生で、まだ文章にしていない「失敗」はありますか?
それはもしかすると、誰かにとって、一番読みたかった言葉になるかもしれません。


