嘘は他人を傷つける前に自分を腐らせる|モーセの警告に込められた「言葉の倫理」とは?
あなたは誰かの噂話を聞いたとき、どんな態度をとりますか?
何気なく発した言葉が、人を傷つけたり、信頼を壊してしまった経験はありませんか?
今回は旧約聖書の登場人物、モーセの名言を取り上げます。
人についての「嘘」を言ってはならない
(出エジプト記・十戒の第9戒より)
シンプルなこの一文には、人間関係・社会・自己信頼に深く関わる真理が込められています。
この言葉を深掘りし、現代を生きる私たちが学ぶべき「言葉の力」と「影響」について考えてみましょう。
この名言が意味することとは?
「人についての嘘を言ってはならない」とは、単に「ウソをつくな」という道徳的ルールではありません。
これは、人を貶めたり、不当に傷つける虚偽の発言をしてはならないという、言葉の使い方に対する厳しい戒めです。
つまり…
- 噂話に便乗して、真偽の分からない情報を語ること
- 妬みや恨みによって、事実を曲げて誰かを悪く言うこと
- SNSで軽はずみに誰かの名誉を傷つけるような発言をすること
すべてがこの戒めの範疇に含まれます。
なぜ「嘘を言ってはならない」のか?
1. 信頼は言葉で築かれ、言葉で壊れる
人間関係は、言葉でつながっています。
たった一つの悪意ある嘘、軽い誤解の流布が、人と人の間の信頼を一瞬で破壊してしまうのです。
「冗談のつもりだった」
「あの人も言ってた」
その無責任が、取り返しのつかない傷を生むことがあります。
2. 嘘は相手だけでなく、自分自身をもむしばむ
嘘を言うことの最大の被害者は、実は自分自身です。
- 嘘を正当化するために、さらに嘘を重ねる
- 自分の言葉に信頼が持てなくなり、自尊心が傷つく
- 心の奥底に「罪悪感」が積み重なっていく
嘘をついた瞬間に「言葉の信用力」は崩れ、やがて自分自身をも蝕んでいくのです。
3. 社会の秩序は「真実の共有」によって保たれている
現代社会は「情報」が土台です。
嘘が蔓延すると、判断基準が壊れ、正しさが見えなくなる。
事実と虚偽の区別がつかなくなると、人々は「誰を信じていいか分からない」という「情報の砂漠」に置き去りにされてしまいます。
私たちはどう生きるべきか?
1. 知っていることと「確かにそうだ」と言えることを区別する
うわさ話を聞いたとき、「これは本当?」と一呼吸おいてみましょう。
たとえ信頼できる人からの話でも、自分が目撃・体験・確認していない限り、それを「事実」として話すべきではありません。
2. 自分が言われたらどう感じるか?でフィルターをかける
あなたが今話そうとしているその言葉…
「自分が言われたら嬉しいか?傷つくか?」を想像してください。
共感の視点を持つことで、言葉の選び方は変わります。
3. 黙る勇気を持つ
すべてを語る必要はありません。
沈黙は時として最も強く、優しい選択です。
今日からできる小さな実践
- SNSで何か発信する前に、「これは誰かを傷つけないか?」と一度自問してみる
- 噂話には安易に乗らず、「私は分からない」と明言する勇気を持つ
- あなたのこと、悪く言う人もいるけど、私はあなたを信じてるよ、と誰かに伝えてみる
言葉とは、使い方ひとつで「武器」にも「翼」にもなる
モーセが語ったこの戒めは、数千年たった今も色褪せません。
むしろ、情報が拡散しやすくなった現代社会だからこそ、その重みは増しています。
言葉は、相手を癒すこともできる。
でも、同時に一瞬で心を切り裂く「凶器」にもなる。
だからこそ…
「人についての嘘を言ってはならない」
この言葉を、あなたの中の「言葉の取扱説明書」として、大切に胸に刻んでください。
宮本真愿
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